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22代目田部 長右衛門(22だいめ たなべ ちょうえもん 明治11年(1878年)1月31日 - 昭和31年(1956年)6月)は日本の実業家、政治家。奥出雲の山林大地主田部家の第22代当主。元貴族院議員。農業〔『人事興信録. 第11版』(昭和12年)下タ八四〕。島根県多額納税者〔。勲四等〔『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 昭和32年(1957年) タ・ツ…43頁〕。旧姓は宇山、名は茂秋。 田部長右衛門 (23代)は二男〔。田部長右衛門 (21代)は養父。 == 来歴・人物 == 島根県能義郡伯太町母里(現在の安来市)の宇山清左衛門の三男に生まれ〔、飯石郡吉田村田部長秋の養子となる〔。大正15年(1926年)家督を相続し前名種之助を改む〔。 明治36年(1903年)早大卒業〔。家業を継ぎ農業に従事する〔。 島根農会副会長〔、日本勧銀島根地方顧問〔、島根地方森林会議員〔、大日本山林会・帝国森林会各評議員〔、山陰合同銀行取締役等その他種々の名誉職を歴任した〔。その間昭和14年(1939年)貴族院議員に選出せられた〔。 昭和31年(1956年)6月、自邸において死去〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「田部長右衛門 (22代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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